日本茶の入門講座

日本茶の歴史を知ろう!あなたが気になるお茶の誕生はいつ?

茶ルパカ博士
茶ルパカ博士
今や私達の生活に深く根付いている日本茶は、いつどのようにして誕生したか知っていますか?
お茶子
お茶子
うーん。身近にありすぎて考えたことがありませんでした。
そうですよね、日本茶にも歴史はありますよね!

日本茶には、約800年前から飲まれている歴史あるものから、昭和に確立した比較的新しいものまで様々なお茶があります。
あなたが好きな日本茶にはどのような歴史があるのでしょうか。

今回は、日本茶の起源から様々な日本茶の誕生までを追ってみます。

この記事では、

  • 日本茶の歴史と主な日本茶の誕生

についてお伝えします。

茶ルパカ博士
茶ルパカ博士
日本茶は、茶葉を“蒸す”という、他に類を見ない日本独自の製法で作られたお茶。
その他、効能や成分など、まずは日本茶について詳しく知りたいという方は、以下の記事でご紹介しています。
日本茶ってどんなお茶? この記事では、 日本茶とはどんなお茶か 日本茶の効能や成分 日本茶の原料となるチャノキ...

中国から伝わった「お茶」

元々中国発祥である「お茶」が日本に伝わったのは、平安時代初期のころ。

遣唐使として唐(中国)に派遣されていた僧の最澄や空海らが、お茶を持ち帰ったことが始まりです。

といっても、このお茶は「餅茶(へいちゃ)」と呼ばれるもので、今のお茶とは全く違うものでした。
餅茶は蒸した茶葉をすりつぶして固めた固形状のお茶。
飲むときはお湯に溶かして飲んでいました。
当時は嗜好品としてではなく、滋養強壮などのための薬として用いられていたといいます。

また、この頃のお茶は非常に貴重なものだったため、僧侶や貴族など限られた人々しか飲むことが許されませんでした。

その後、遣唐使が廃止になると餅茶の人気も低迷。
お茶文化は日本に根付かないまま、一旦廃れてしまいます。

千利休が広めた「抹茶」

お茶が廃れてから長い時が経った、鎌倉時代。
宋(中国)に修行に行っていた僧の栄西がお茶を持ち帰ったことで、再び日本にお茶文化が伝わります。

この時のお茶は今でいう抹茶。
碾茶を粉末にしてお湯を注ぎ、茶筅で泡立てて飲むものでした。

更に栄西は「喫茶養生記」という茶の専門書を書き、お茶の優れた効能を広めていきました。
二日酔いに悩まされていた鎌倉幕府将軍・源義朝にも、お茶と書を献上したそう。

また、明恵という僧は栄西からもらった茶の種を京都・高山寺に植えて、茶の栽培を開始。
日本最古の茶園を作ります。
明恵はここで採れたお茶を「本茶」と呼び、その他のお茶と区別しました。
この本茶は「宇治茶」の起源にもなっています。

茶園は様々な寺院に広がり、京都だけでなく伊勢、伊賀、駿河、武蔵などの地域でも栽培がされるようになります。
このように、始めはお寺中心に広がった喫茶文化ですが、次第に武士階級にも浸透。
南北朝時代には、武士の間でお茶を飲み比べて産地を当てる「闘茶」という遊びも流行ったそう。

室町時代に入ると、それまで薬として飲まれていたお茶が嗜好品として楽しまれるようになりました。
更に、足利義満や豊臣秀吉など時の権力者達が宇治茶に庇護を与えたことで、高級茶としての宇治茶ブランドが確立します。

また、村田珠光やその弟子の千利休といった茶人が「茶の湯」=現在の茶道を完成。
これが日本中の武士や豪商の間で大流行し、抹茶が全国に広まっていきました。

江戸時代、日本独自の「煎茶」が誕生!

江戸時代に入ると、武士や貴族だけでなく一般庶民もお茶を飲むようになりました。
武士や貴族が粉末をお湯に溶かして飲む抹茶を飲んでいた一方で、
庶民の間では急須で淹れて飲むお茶が広まっていきます。
しかし庶民達が飲んでいたのは、簡単に加工された茶葉を煮出した、香りも味もイマイチな茶色のお茶でした。

そんな中、1738年に宇治の農民・永谷宗円が試行錯誤を重ねながら、お茶の製法を改良。
爽やかな香りと甘み・渋み・旨みが調和した、綺麗な緑色のお茶を作り出します。
現在日本茶の代表格となっている「煎茶」の誕生でした。

煎茶は瞬く間に大人気に。
革命を起こした永谷の製法は「宇治製法」と呼ばれ、全国に急速に広まっていきました。

現在ではこのような功績から、永谷宗円は「煎茶の祖」と呼ばれています。

ちなみに一般庶民に広まったとは言っても、当時のお茶はまだまだ“贅沢品”という認識でした。
現在のように日常的に飲まれるようになるのは、機械で大量生産が可能になった、大正末期~昭和初期あたりからと言われています。

山本山が「玉露」を発明!

煎茶が誕生してから、およそ100年後。

現在も続く製茶会社「山本山」の6代目・山本嘉兵衛が、より高級な煎茶を作ろうと考えます。
彼は、抹茶の原料である高級茶・碾茶に注目。
煎茶も碾茶もチャノキから出来るお茶ですが、育て方と製法に違いがありました。

そこで山本は、煎茶の茶葉を碾茶と同じように茶園に覆いをして日光を当てずに育ててみたのです。
そして、煎茶と同じ製法でお茶を仕上げました。
その結果、1835年に「玉露」が完成。
高級煎茶として知られるようになっていきました。

玉露の由来は、山本が茶葉を露のように丸く焙ったことから来ていると言われます。

「玄米茶」や「ほうじ茶」は近代になってつくられた新しいお茶

炒った玄米の香りに優しい味わいの玄米茶と、香ばしい香りが特徴的なほうじ茶。
どちらもとても人気がある日本茶ですが、この二つは比較的新しい時代にできたお茶です。

玄米茶は明治時代後期頃に出来たと言われています。
その誕生のきっかけは諸説あり、

  • 東北地方の米どころ(美味しいお米ができる地域)において、当時高価で貴重だったお茶に玄米を混ぜてかさ増しして飲んだ
  • お正月が終わり、固くなった鏡餅をもったいないと炒って煎茶に混ぜた

などの説が有力視されています。
どちらにせよ、玄米茶は食べ物を大事にする精神から生み出されたお茶、と言えるのではないでしょうか。

一方、ほうじ茶は昭和初期に京都で確立されたと言われています
当時、日本では昭和恐慌が起こり、日本経済は深刻な不況状態に。
この影響を受け、お茶屋も大量の在庫を抱えるようになってしまいます。
まだお茶の保存技術も発達していなかったため、茶葉はどんどん劣化していき、廃棄するほかありませんでした。

そんな中、困った京都の茶商が京都大学の教授に相談したのです。
(茶商とは、お茶農家から茶葉を仕入れ、製品として出荷する業者のこと)
教授は、古くなった茶葉を焙煎してはどうかと提案。
これをきっかけに、茶葉が茶色くなるまで焙煎するほうじ茶が出来上がりました。
ほうじ茶はピンチから生まれた救世主のようなお茶だったんですね。

まとめ

日本茶の歴史についてまとめます。

  • 平安時代、僧の最澄や空海が唐からお茶を持ち帰り、初めて日本に茶が伝わる
  • 鎌倉時代、僧の栄西が茶を宋から持ち帰り、再度日本でお茶文化が広まる
  • 僧の明恵が京都の高山寺で日本最古の茶園を作る
  • 茶人の村田珠光や千利休が「茶の湯」を完成させ、抹茶を日本中に広める
  • 江戸時代、永谷宗円によって煎茶が誕生
  • 山本山の6代目・山本嘉兵衛が玉露を考案
  • 明治後期、かさ増しするために玄米を煎茶に混ぜたことなどから玄米茶が誕生
  • 昭和初期、不況の中で売れ残ってしまった茶葉を焙煎したことからほうじ茶が確立
お茶子
お茶子
現代の私達が当たり前のように飲んでいる日本茶には、先人達の努力とたくさんの歴史が詰まっているんですねぇ。
茶ルパカ博士
茶ルパカ博士
そうそう、大昔の人も私達と同じお茶を飲んでいたと考えると、とても不思議な感覚になりますね。
お茶子
お茶子
博士!たまにはその歴史に思いを馳せ、ロマンを感じながら日本茶を味わってみましょうか。(コポポポ・・
茶ルパカ博士
茶ルパカ博士
いいですねぇ

今回ご紹介した日本茶を始め、日本茶の種類やその特徴については、以下の記事でご紹介しています。

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